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聖歌は生歌

聖歌は生歌

復活節第3主日

《A年》
 98 しあわせな人
【解説】
 詩編16は、元来、カナンからイスラエルに移り住んだ人が、改宗して行った、信仰告白と思われます。詩編作者
は、主である神との一致は、死よりも強いと感じ、まことの神との一致にこそ、しあわせと永遠のいのちがあると確信
した美しい歌です。死に打ち勝ち、復活したキリストの父との一致こそ、この、永遠のいのちをもたらすものに他なりま
せん。それゆえ、使徒たちは、この詩編を、詩編118(87「きょうこそ神が造られた日」)と同様に、キリストの復活の
あかし・預言として用いました(使徒2:21-33参照)。
 答唱句は、冒頭から、5小節目の「喜びに」までは、八分音符の細かい動きと、四分音符+付点四分音符と八分音
符(2小節目のバスとアルト、4小節目のテノールとアルト)のリズムで、神の豊かな恵みを受ける人の、しあわせな
こころの喜びを、活き活きと表現しています。最後の3小節は、付点二分音符や二分音符という、長い音価の音符を
使って、この恵みに生きる安心感が表されています。さらに、「喜びに」では、旋律で、最高音のE(ミ)が用いられて、
強調されています。
 詩編唱は、最終音の2度上(一音上)のH(シ)から始まり、歌い始めやすくなっています。そして、次第に下降し、E
(ミ)に至りますが、この音は、答唱句の冒頭の音と同じです。なお、詩編唱の最後の和音は、E(ミ)-Gis(ソ)-H
(シ)ですが、これは、和音の位置こそ違いますが、答唱句の最初の和音と同じです。ちなみに、この曲はA-Dur(イ
長調)ですが、この和音は、主和音ではなく、五度の和音です。答唱句が、主和音ではなく、五度の和音から始める
ことで、次の「しあわせな」に向かう、勢いを付けているのです。
【祈りの注意】
 上にも書いたように、冒頭は、勢いを付けて歌われ始めます。最初の「し」は、マルカート気味で歌います。冒頭の
速度指定は、四分音符=112くらいとなっていますが、最初は、これよりもかなり早いテンポで歌い始めます。そう
しないと、答唱句の活き活きとした感じを出すことができません。この、速度は、答唱句の終わりの rit. したテンポと
考えてよいと思います。付点四分音符や四分音符の後の八分音符、すなわち「しあわせ」や「しあわせな」、「かみ
の」、「そのよろこび」(いずれも赤字の音)が遅くなると、どんどんテンポが落ちてゆきますので、注意しましょう。な
お、続く、連続する八分音符もきびきびと歌ってください。
 「ひと」や「受け」の付点二分音符で旋律が音を延ばしているところは、しっかりと音を延ばし、一瞬で息継ぎをして、
次の四分音符を歌うようにします。この延ばしている間に、「ひと」では、バスとアルトが、「受け」では、テノールとア
ルトが遅れてこのことばを歌います。ここでしっかりと延ばすことで、ひとまとまりの文章である、答唱句がひとつの祈
りとして継続されますが、早く音が切れると、この祈りが続かなくなります。答唱句の後半は「喜びに」から、徐々に
rit. して終わりますが、いつ、rit. が始まったか分からないようにできれば、最高です。一番最後の答唱句(歌い終
わり)は、最も、ていねいに rit. しましょう。
 ところで、この答唱句で歌われる、「しあわせな人」とは、だれでしょうか?実は、この答唱句を歌う、わたしたち、一
人ひとりがしあわせな人なのです。わたしたち一人ひとりが「神の恵みを受け、その喜びに生き」ているのでなけれ
ば、この答唱句が活き活きと歌われないのではないでしょうか?
 詩編唱は、1,2,5節が歌われます。まず、技術的な注意ですが、答唱句が小気味よいテンポで歌われますから、
詩編唱も、早めに歌いましょう。2節の2小節目と5節の2小節目は、少し歌詞が長いので、「おられ」、「喜び」の後で
息継ぎをします。息継ぎをするときは、その、少し前に、やや、rit. して、一瞬で息継ぎをし、再び、元のテンポに戻し
て歌います。
 今日の第一朗読も福音朗読も、まさに、イエスの復活がテーマとなっています。第一朗読で読まれる、ペトロの説
教では、この詩編16が、復活の預言として語られます。最初のうち、弟子たちは、復活したキリストと出会っても、そ
れが、自分たちの先生とは、すぐに理解できませんでした。聖書を読んではいても、知ってはいても、それをきちんと
分かっているとは限らないのです。毎主日、あるいは、毎日、ミサの中で、教会の祈りで、あるいは、その他の方法
でも、聖書を聞いたり、読んだりしていますが、本当に、聴こえているかどうかを反省しなければいけないかもしれま
せん。
 今日の詩編を味わいながら、ミサごとにキリストと出会える喜びを、答唱句で心から歌いたいものです。
【オルガン】
 答唱句のことばやテンポを考えると、人数にもよりますが、明るいストップを用いてもよいと思います。フルート系が
中心ならば、8’+4’+2’、プリンチパル系を入れるなら、いずれか一つに入れるようにしてもよいでしょう。もちろ
ん、あまり、派手にならないようにしますが、かと言って、弱すぎて、会衆の答唱句が活き活きしないようでも困りま
す。また、前奏がきびきびとしていないと、会衆もだらだらと答唱句を歌いだすことになりますから、あまり早すぎるの
も困りますが、実際に歌うより、いくぶん早めに前奏をとることが必要かもしれません。最初にも書いたように、この、
復活の喜びを表す詩編を、その、喜びにふさわしい祈りとして支えることができるようにすることが、大切でしょう。

《B年》
70 神よあなたの顔の光を
【解説】
 詩編4は、その前の詩編3が朝の祈りといわれるのに対して、夕べの祈りと言われていて、教会では、主日・祭日
の前夜の寝る前の祈りで唱えられます。多くの人々が神を疑うのに対して、この、詩編作者は神への強い信頼を歌
います。
 答唱句は、詩編唱と同じように、各小節最後の四分音符以外は、すべて八分音符で歌ってゆきます。旋律は第三
音のEs(ミ♭)から始まり、主音に降り、神が穏やかにその顔の光を照らしてくださる様子が表されています。旋律も
その他の声部も動きが少なく、特にバスは他で歌われているすべての詩編に共通する、神への信頼を表すように、
主音に留まります。
 詩編唱も基本的にドミナントから段階的に下降しますが、各小節とも終止音は持続音より2度上昇しており、この反
復が詩編唱に緊張感と安らぎを与えています。4小節目の終止の部分は、答唱句の終止の部分と同様に終わって
います。
 【祈りの注意】
 答唱句の最初は、mp で始め、1小節目の終わりで、いったん rit. と dim. しますが、2小節目の冒頭で元に戻
し、最後は、さらに rit. と dim. を豊かにして終わります。特に、最後の答唱句は、最初から p あるいは、pp で始
め、早さも、一段とゆっくりします。とはいえ、祈りのこころ・精神は、一段と深く、強くしなければなりません。
 解説でも書いたように、答唱句は各小節の最後の四分音符以外、すべて八分音符で歌ってゆきます。楽譜を入れ
ることができませんので、ことばだけで書きますが、「ー」は八分音符一拍分のバスところを、太字は自由リズムの
「1」にあたる拍節を、*は八分休符を、赤色の字は音が変わった最初の音を、それぞれ表しています。
 かみよあなたのかおのひかりをー*|わたしたちのうえにてらしてくださーぃ
 となります。
 よく聞く歌い方で気になるのは、

 1小節目=かみよーあなたのかおのひかりをー 
 2小節目=わたしたちのうえにーてらしてください。

というように「かみよー 」と「うえにー」さらに「さいー」を延ばすものです。「かみよ」の「よ」の後で間があく場合もあり
ます。しかし、延ばしたり、間をあけるのでのであれば、楽譜にきちんとこのように書いてあるはずです(たとえば367
「賛美の賛歌」参照)。「かみよー」ではなく「かみよ」、「うえにー」ではなく「うえに」となっていますから、この「よ」と
「に」は、八分音符で歌い、すぐに、「あなたの」と「てらして」に続けなければなりません。特に、「うえに」は、その後
の「あなた」の「あ」と字間があいているので、あけるしるしと勘違いされることがありますが、ここで、字間があいてい
るのは、楽譜を作る上での技術的な限界から来るもので、決して延ばしたり、間をあけたりするしるしではありませ
ん。実際に、歌い比べてみると、延ばさないほうがはるかに深い祈りとなるはずです。
 2小節目の最後の「ください」も「くださいー」としてしまうと、品がない歌い方になります。「くださーぃ」と、「さ」を延ば
し「い」を最後に添えるようにすると、品位ある祈りになります。
 詩編唱は、第一朗読で語られるペトロのことばを受けています。特に、最後に言われる「悔い改めて立ち帰りなさ
い」は、詩編唱の2節につながっています。「聖なる正しい方」を受け入れる人には「悩みの中にもいこいが与え」られ
るのです。詩編唱はこの、神への全幅の信頼をもって、こころ穏やかに、祈りましょう。
 この答唱詩編は、答唱句・詩編唱ともに、非常に繊細なものです。祈るわたしたちも、日本語の繊細さを生かしなが
ら、細やかなこころで祈りを深めてゆきましょう。
【オルガン】
 この形式の答唱詩編に共通しますが、基本的には、フルート系のストップで、できれば、8’で伴奏したいものです。
人数が多いときには、弱めの4’をプラスしてもよいでしょうが、最後の答唱句は8’だけに減らしたいところです。

《C年》
65 神はわたしを救われる
【解説】
 詩編30は瀕死の人が重病から救われたことを感謝する詩編です。死は「死の国(よみ)、墓(穴)、滅び、ちり、嘆
き、荒ら布」などと表現され、いのち(=神の)は「喜び、恵み、踊り、晴れ着」ということばで対照的にたとえられてい
て、神による救いが強調されています。ここでは、歌われませんが、5節では、詩編作者が自らの喜びを、人々にも
一緒に歌うように促します(「神を信じる人は神をたたえ、とうといその名をほめ歌え」)。死から救われて神の救いに
あずかることは、個人的なことだけにはとどまらず、共同体的な喜びへと広がってゆくものなのです。
 答唱句は、珍しくテージス(小節線の後ろ)から始まります。旋律の音は、G(ソ)、A(ラ)、C(ド)の三つの音で、そ
の他の声部の音も大変少ない音で構成されています。文末以外は、ほとんどが八分音符で、「すくわれる」と「たた
えよう」で四分音符が用いられて、ことばが強調されています。とりわけ「たたえよう」では、アルトのAs(ラ♭)とテノ
ールの最高音E(ミ)で、信仰告白のことばが高められています。さらに、テノールは冒頭から「いつくしみ」までC(ド)
が持続して、神への信頼と救いの確信が表されています。
 詩編唱は、3小節目でバスに臨時記号が使われ(Fis=ファ♯)、緊張感が高められますが、4小節目は5の和音で
終止し、旋律も答唱句の冒頭と同じ音になり、落ち着いて終わります。
【祈りの注意】
 冒頭は、指定の速度の、四分音符=72よりやや早めで始めるとよいでしょう。八分音符が連続しますので、メトロ
ノームで計ったように歌うと、歌はもちろん祈りになりません。変なたとえかもしれませんが、ところてんを作る道具
で、最初に、一気に押し出すような、そんな感じではじめるとよいでしょう。2小節目の「救われる」でやや rit. します
ので、「わたしを」くらいから、わからない程度にゆっくりし始めます。「その」のバスが八分音符一拍早く始まるところ
で、テンポを元に戻します。最後の「いつくしみを」から、再びわからないように rit. して、最後はていねいに終わりま
す。最後の「たたえよう」は、こころから神をたたえて、祈りを神のもとに挙げるようにしたいものです。
 この答唱句は、「神はわたしを救われる」と現在形になっています。神の救いのわざ(仕事)は、かつて行われて終
わってしまったのでもなく、いずれ行われるのでそれまで待たなければならないものでもありません。神の救いは、今
もいつも代々に至るまで、継続して行われています。その、顕著なものが、やはりミサではないでしょうか。ミサは、
キリストの生涯の出来事を思い起こす福音朗読と、その救いの頂点である受難-復活-昇天を記念=そのときその
場に現在化するものです。このミサが、世界のどこかで、必ず継続して行われている。それを、この答唱詩編は思い
起こさせてくれます。そのことを思い起こしながらこの答唱句を歌うことが、祈りを深め、ことばを生かすことになると思
います。
 今日の答唱詩編は、第一朗読で、朗読されるペトロたちのあかしを黙想して歌われます。大祭司は使徒たちに「あ
の名」によって教えてはならない、と言います。「あの名」とはイエスの名ですが、ヘブライ語で「名」は、その人あるい
はそのものの本質をも意味します。「あの名」すなわちイエスの名によって教えることは、イエスご自身が教えになる
ことなのです。自分たちがやみ裁判を開き、異邦人の手によって殺したものの名によって教えることを許す事は、
イエスの復活を認めることになるわけです。それに対し、ペトロたちは、イエスの復活がまことの出来事であるがゆえ
に、神を「たたえ、黙っていることがない」(詩編30:13)のです。わたくしたちも、この、使徒たちの模範に励まされ、
神のなされた不思議なわざを、「とこしえにたたえ」(詩編30:13)て行きたいものです。
【オルガン】
 答唱詩編の基本である、フルート系のストップの8’+4’をもとに、人数によっては4’を弱いプリンチパル系にしても
よいでしょう。指揮者がいない場合、オルガンの前奏が、会衆の祈りを左右しますから、のっぺらぼうのような前奏を
しないようにしましょう。最後の答唱句は、賛美の歌声を支えるために、少し、強いストップ(たとえばプリンチパル系
の8’とかフルート系の2’)を加えてもよいかもしれません。





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